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終戦記念日

60回目の終戦記念日です。
節目の年くらいは、正午に黙祷を捧げるというのもありかもしれません。
靖国や千鳥ヶ淵に行ってみようかなとも。そうしたらスーツとは言わないまでも、サンダル履きは遠慮しないといけないでしょうね。

Wikipediaの玉音放送からいろんなページに飛んでみたら、なんとなくいろんなことを考えてみたんですがもう忘れてしまいました。
八月革命説についてぼーっと考えてたんだっけか。
あやふやな知識で変なこと言うと鋭くつっこまれそうなのでごまかしておきます(苦笑

終戦記念日はたまたまこれがお盆にあたることから、民俗学的にいえば、両者が混交して死者の魂を追憶し、供養すべき日として言わず語らずのうちに日本人の意識のなかに根付いている。十五年戦争(大東亜戦争)について、日本人がしばしば自国のかつての立場からのみものを見がちであり、周辺国家との協調を欠く結果におわるのは、こうした死者供養、さらに端的に言えば「死んだ兵士たちに申しわけない」という意識がつねに終戦記念日と切りはなせないかたちで毎年やってくることにもかかわりがあるといえるだろう。

Wikipedia 終戦記念日 より

この見方は初めて聞いたので興味を持ちました。
話はややずれますが、塾講仲間(前期だけでもう来ないらしいですが)の女の子といろいろ話してて、日本に民主政が今ひとつ根付かないのはやっぱり民族性の問題じゃないかとか言われたことがありました。で、うちのゼミの某前副学長先生がいつもおっしゃる、そういう非論理的な切り方はよくない(というとニュアンスが違ってしまいそうですが)というのを思い出して、うーん…とか思っていたのですが、これを読んでもなんか同じようなことを思って。
「国民性」みたいなものっていったいどこから生まれてくるのでしょうね。丸山真男は比較的和辻哲郎的な、気候やら風土やらが「国民性」を形作るっていうような論を支持していたように(少なくともゼミの議論の中では)感じられましたが、ゼミの教授はそれは違うとおっしゃる。難しい課題です。
個人的には和辻の議論も相当に説得的だとは思うのですが、それはあるいは福沢が『文明論之概略』の中で言う「長きにわたって行われてきた慣習で一見性質にも見えてしまうもの」(原典に当たってないので不正確ですがおおよそこのような意味だったかと)でしかないのかもしれません。あるいは簡単に他人の議論に乗らずに考え続けることが重要、という示唆でもあるのかもしれませんね。


最大公約数的ではありますが、戦争で非常に多くの方が亡くなったというのは動かし難い事実と言ってかまわないでしょう。戦争をまったく知らない、平和ボケもいいところ、な世代の自分ではありますが、僭越ながら戦争で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈らせていただきたく存じます。
自分が平穏無事に、なんだかんだ言いながらも幸せに生きていることの貴重さをかみしめつつ。
cerise / たく * むずかしいこと * 03:23 * comments(0) * trackbacks(0)

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